水墨画のような世界を描く、数少ない花切子専門の工房
「花切子」とは江戸切子の手法のひとつであり、独特の表現が持ち味の切子である。いわゆる切子の幾何学模様がもつ凛とした鋭さとは対照的に、小さな砥石を筆のように操り、濃淡をつけて水墨画のような花鳥風月の世界を描く。同じ「切子」が名につくものの、専門的な技術や道具を要するため、花切子を生業とする職人は年々減少している。
目黒硝子美術工芸社は、都内でも数少ない花切子を専業とする工房。先代の跡を継いだ祐樹さんが二代目として、道具屋をはじめ周囲の協力を得ながら生業を続けている。作業は自宅兼工房で、母、妻との家族3人体制で行われる。母が割り出し(下描き)をし、勢いのある線は祐樹さん、柔らかさのある描写は妻のかほるさんと分担しながら夫婦で絵柄を彫りあげる。家族で力を合わせて作られる花切子は簡単に量産できるものではないが、その唯一無二の仕事ぶりに惚れ込んだ顧客からの注文は後を絶たない。
常にノートを持ち歩き、思い浮かんだモチーフ、外で見た美しい風景、おもしろい動物の表情、気になったものはすぐにスケッチする。彼の次の作品を見たい、と待ち望むファンは多い。
顧客の「思い入れ」を引き受け、ガラスに“心”を切り込む
花切子は絵柄の精細さゆえ飾り物になりがちだが、「むしろどんどん使ってほしい」と彼らは言う。縁に群がって咲くあやめのグラスを覗き込むと、底には踊るようにすいすい泳ぐ錦鯉の姿が。表側の柄と裏側、底面の柄が重なることで新しい景色やストーリーが生まれる描き方は彼らの作品の特徴。ただ飾って眺めているよりも、手に取って使ったほうが魅力が感じられる。そして年月を重ね使い込んでいくことにより、傷や汚れが味わいとして絵柄の深みになる。
孫の好きなミニカー、亡くなってしまった愛犬、オーダーメイドには思い入れのあるモチーフが持ち込まれる。完成した作品を受け取り、目にした瞬間に泣いてしまう人もいるという。相手の思いを汲めばこそ、来た注文は断らない。唯一無二の心をカタチにする、花切子以上のものを究める職人の姿がここにある。